青木武司
1999年4月25日
ホセア書 8:11
エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、
これがかえって罪を犯すための祭壇となった。
祭壇は罪のためのいけにえをささげて、民の罪を取り除くためのものである。しかし、その祭壇がかえって民の罪を増し加える機会を作った。偶像にささげるために用いられたからである。(列王記第二 17:7-12)
ホセア書 8:12
わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、
彼らはこれを他国人のもののようにみなす。
神はイスラエルのために、教えを与えたが、イスラエルはその教えを他国人のもののように扱って自分のものとはしなかった。(列王記第二 17:13-15)
さらにひどいことに、イスラエルは神から遣わされた預言者を愚か者と呼び、狂人扱いした(ホセア9:7)。イスラエルの不義を告発し、罪を指摘する正しい人に罵声を浴びせ、激しく憎み、追放するまでになった。
ホセア書 8:13
彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、
主はこれを喜ばない。
今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。
彼らはエジプトに帰るであろう。
イスラエルが、造り主を忘れることがあっても、神はイスラエルの不義をお忘れにはならない。神の刑罰はもはや延ばされることはない。
ホセア書 9:7
刑罰の日が来た。報復の日が来た。
イスラエルは知るがよい。
ホセア書 9:1
イスラエルよ。
国々の民のように喜び楽しむな。
あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、
すべての麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。
イスラエルは審判が迫っていることも知らず、秋の収穫の祝いを楽しんでいた。そこには堕落した姦淫の習慣が入り込んでいた。それは異教の神々(豊饒の神々)を祭る習慣と密接なつながりがあった。収穫が終わった後の麦打ち場は酒宴の場となり、姦淫の罪を犯す場となった。
しかし、イスラエルは異教の民のように喜び楽しんでいることはできない。真の創造主である神の刑罰を受けるからである。
ホセア書 9:2
麦打ち場も酒ぶねも彼らを養わない。
新しいぶどう酒も欺く。
麦打ち場も酒ぶねもイスラエルを決して養わない。それらは取り去られるときが来ようとしていた。
ホセア書 9:3
彼らは主の地にとどまらず、
エフライムはエジプトに帰り、
アッシリヤで汚れた物を食べよう。
イスラエルは主の地にとどまることはできず、外国の地に捕らえ移される。そこではもはや収穫の祝いはないく、異教の地の汚れた物を食するようになる。
イスラエルの楽しみは幻であったように消え去る。
ホセア書 9:4
彼らは主にぶどう酒を注がず、
彼らのいけにえで主を喜ばせない。
彼らのパンは喪中のパンのようで、
すべてこれを食べる者は汚れた者になる。
彼らのパンは彼ら自身のためだけであって、
主の宮に持ち込むことはできない。
イスラエルは、主にささげ物をしようと思っても、ささげる物がない。彼らは喪中のパン、すなわち死者を葬った家にあるパン(汚れているとされた)しか持っていない。それは主にささげることのできるものではない。
ホセア書 9:5
あなたがたは例祭の日、
主の祭りの日には何をしようとするのか。
主の祭りの日が来ても、異教の地では神を礼拝することも、祭りを祝うこともできない。
彼らは次のように言って嘆くであろう。
詩篇 137:1-4
バビロンの川のほとり、
そこで、私たちはすわり、
シオンを思い出して泣いた。
その柳の木々に
私たちは立琴を掛けた。
それは、私たちを捕え移した者たちが、
そこで、私たちに歌を求め、
私たちを苦しめる者たちが、
興を求めて、
「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。
私たちがどうして、
異国の地にあって主の歌を歌えようか。
イスラエルは豊かであったときに、神のみおしえを捨て、神にささげものをすることをやめ、偶像に仕えた。しかし今は、異国の地にあって、真の神を求めても、見出すことができない。
イスラエルは明らかに選択を誤った。神を自由に礼拝ができるときに神を礼拝しなかった。異教の地に捕らえ移され、自由を奪われたときに神を求めたが、神はそこにはおられなかった。
クリスチャンも同じ過ちをすることがある。世と神のどちらかを自由に選ぶことができるときに。神を選ばずに、世を選んでしまう。そして神にみずからをささげることをやめてしまい、世に仕えてしまう。いつしか世に完全に飲み込まれたときに、神を見出そうとしても神はそこにはおられないのだ。
私たちはきよいものと汚れたもののどちらかを選ぶ自由があった。そのとき汚れたものを選び、きよいものを拒んだ。いつしか汚れた世に身をまかせて逃れられなくなったとき、きよいものを手にしようとしても、そこには汚れたものしかないのだ。
イザヤの次の預言は、造り主なる唯一の神を捨て、異教の神々を慕ったイスラエルの滅び行く姿をよく映し出している。
そむく者は罪人とともに破滅し、
主を捨てる者は、うせ果てる。
まことに、彼らは、
あなたがたの慕った樫の木で恥を見、
あなたがたは、
みずから選んだ園によって
はずかしめを受けよう。
あなたがたは葉のしぼんだ樫の木のように、
水のない園のようになるからだ。
イザヤ書 1:28-30
イスラエルは神が私たちが滅びるようにしたといって神を責めることはできない。イスラエルは、異教の生活を「みずから選んだ」からである。
ヤコブ 1:13-15
だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。
神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
イスラエルは自分の欲におぼれ、罪を犯し、その罪が熟したとき、死(滅び)をもたらしたのである。
ホセア2章に描かれたホセアの妻ゴメルにもどろう。ホセアの妻ゴメルは姦淫の罪を犯して、夫ホセアのもとを離れて別居するようになる。その後、ゴメルは売春をするようになり、最後は奴隷として売られる。これはイスラエルが造り主である神を忘れ、神を捨てて、最後には異国の地に捕われるようになるというイスラエルのたどる道を象徴している。
ホセア書 13:9
イスラエルよ。
わたしがあなたを滅ぼしたら、
だれがあなたを助けよう。
イスラエルは真の神が救い出さなければ、滅びるところにまでいきつく。そのとき、神の一方的なあわれみによって、イスラエルは救い出されるのである。
ホセア書 11:8
エフライムよ。わたしはどうして
あなたを引き渡すことができようか。
イスラエルよ。どうして
あなたを見捨てることができようか。
どうしてわたしはあなたを
アデマのように引き渡すことができようか。
どうしてあなたをツェボイムのように
することができようか。
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。
神がイスラエルの背信をいやすとき、イスラエルは主に立ち返り、真に悔い改める。
ホセア書 14:2,3
「すべての不義を赦して、
良いものを受け入れてください。
私たちはくちびるの果実をささげます。
アッシリヤは私たちを救えません。
私たちはもう、馬にも乗らず、
自分たちの手で造った物に
『私たちの神』とは言いません。
みなしごが愛されるのは
あなたによってだけです。」
神はイスラエルに答えて約束される。
ホセア書 14:8
エフライムよ。
もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。
わたしが答え、わたしが世話をする。
わたしは緑のもみの木のようだ。
あなたはわたしから実を得るのだ。
イスラエルは偶像とのかかわりを捨て、真の神から実を得るようになる。
ホセア書 14:9
知恵ある者はだれか。
その人はこれらのことを悟るがよい。
悟りある者はだれか。
その人はそれらを知るがよい。
主の道は平らだ。
正しい者はこれを歩み、
そむく者はこれにつまずく。