青木武司
1999年4月18日
ホセア書 8:1
角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。
彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。
見張り人は敵が侵入してくるとき角笛を吹いて警告した。イスラエルには破滅の危機が迫っていた。敵は鷲のごとく襲いかかるであろう。しかしなぜそうなったのか?その原因はイスラエルが神の契約を破り、神の教えに背いたからである。イスラエルは「真底まで堕落した」のであり、「主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する」(ホセア9:9)からである。
神は契約を守り、履行される方であり、イスラエルには完全な服従を求めておられる。
「あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。
主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる」(申命記
7:9)
しかし、主の命令に背く者には、報いられる。神には正義を曲げることができないからだ。
「主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。」(申命記 7:10)
ホセア書 8:2,3
彼らは、わたしに向かって、
「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている。」と叫ぶが、
イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。
イスラエルは、「私たちは神を知っている」というが、それは真実な心から出たものではない。それは誠実と真実を欠いたものだった。今日でもキリスト教の教えを知っていても、キリストの命令を軽視していたり、キリスト御自身を知らない人が多い。ホセアと同時代の預言者イザヤは次のように警告している。
「この民は口先で近づき、
くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、
人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。」(イザヤ書 29:13)
ホセア書 8:4
彼らは王を立てた。
だが、わたしによってではない。
彼らは首長を立てた。
だが、わたしは知らなかった。
神の導きを求めずに、神の承認なしに、神の権威と命令によらずに、イスラエルは自分たちの上に立つ王や首長を決めた。その結果はどうであったか?ヤロブアム2世の死後は、暗殺に継ぐ暗殺、謀反に継ぐ謀反であった。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言 14:12)始めに神の権威を否定すると、終わりは人間の死である。
ホセア書 8:5
サマリヤよ。
わたしはあなたの子牛をはねつける。
わたしはこれに向かって怒りを燃やす。
彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。
イスラエルは自分のために銀と金で偶像を造った。しかしそれは神ではない。サマリヤの子牛はイスラエルを救いはしない。神は偶像を忌み嫌われる。
偶像崇拝とは、神に代わる偶像を造って拝むことだけではなく、神ではないものを生活の中心に置くことでもある。生活の中心には神があるべきであるが、それが神以外のもので占められているから、偶像崇拝なのである。
コロサイ3:5によれば、むさぼりはそのまま偶像崇拝である。私たちが恥ずべき言葉を口にするなら、それはむさぼりにつながる。私たちは悪い言葉を口にしないように気をつけなければならない。
「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」(エペソ 5:3,4)
英語の聖書(NIV)では、"But among you there must not be even a hint of sexual immorality, or of any kind of impurity, or of greed"と訳されている。私たちの口にする言葉だけでなく、態度や行動においても、不品行や汚れ、むさぼりをほのめかす(hint)ようなことがあってはいけないのである。
私たちは偶像崇拝(神ではないものを神とすること)につながるあらゆる悪を注意深く避けなければならない。特に世の人々とつきあいをするときはそうである。
「悪はどんな悪でも避けなさい。」第一テサロニケ 5:22
ホセア書 8:7
彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。
麦には穂が出ない。
麦粉も作れない。
たといできても、他国人がこれを食い尽くす。
"Sowing the wind they reap the whirlwind"は英語のことわざになっている。風は形がなく、とらえどころがない。どこから来てどこへ行くのかわからない、実体のないものである。人間は、風のように実体のない、むなしいものに投資をしてしまうが、その結果はつむじ風を刈り取ることになる。つむじ風(文語訳では「狂風」)はうずまいて起こる突風であり、神の裁きを象徴する。蒔いたものが小さな風であっても、刈り取るものは強風である。私たちが神以外のものに身をまかせたとき、危険に身をさらしていることに気がつくべきである。神以外に安全な場所はない。神を隠れ家とせよ。
ホセア書 8:8
イスラエルはのみこまれた。
今、彼らは諸国の民の間にあって、
だれにも喜ばれない器のようだ。
神は諸国の民の間でイスラエルを選び、御自身の栄光を表そうとされた。しかしイスラエルは諸国の民の中に入り交じり、飲み込まれてしまった。イスラエルは存在価値を失った、「だれにも喜ばれない器」である。
私たちも世との分離をやめ、世と交わりを深めるなら、クリスチャンとしての存在価値を失う。
ホセア書 8:9
彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。
エフライムは愛の贈り物をした。
ホセア書 8:10
彼らが諸国の民の間で物を贈っても、
今、わたしは彼らを寄せ集める。
しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を
負わなくなるであろう。
イスラエルはアッシリヤへ行き、贈り物をして外国人との関係を深めていった。イスラエルの王メナヘムが、神からの助けを求めず、アッシリアの王プルにお金を贈り、プルの援助によって国を強くしようと考えたのは、愚かな行為であった。イスラエルの外交政策には神を無視したものであった。神はイスラエルの政策をむなしくし、イスラエルが自国の王の圧政に下で衰えるようにされた。
ホセア書 8:11
エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、
これがかえって罪を犯すための祭壇となった。
ホセア書 8:13
彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、
主はこれを喜ばない。
今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。
彼らはエジプトに帰るであろう。
祭壇は罪のためのいけにえをささげて、民の罪を取り除くためのものである。しかし、その祭壇がかえって民の罪を増し加える機会を作った。偶像にささげるために用いられたからである。
イスラエルは神を忘れた。自分の道を進み、神を自分の生活の外側に置いた。神が存在しないかのような生活を送った。神はそのような歩みをしている人の礼拝を喜んで受け入れることはない。イスラエルの罪は罰せられる。イスラエルは裁きの結果、エジプト時代の奴隷生活(神のいない生活)に戻っていく。
ホセア書 8:12
わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、
彼らはこれを他国人のもののようにみなす。
神はイスラエルのために、教えを与えたが、イスラエルはその教えを他国人のもののように扱って自分のものとはしなかった。
私たちもときどき教会のメッセージを聞いたとき、人ごとのように聞いていることがある。自分には関係のないことのように。また、他人には神の命令を当てはめて、人を裁くが、自分には神の命令を当てはめないこともある。モーセの座につきながら、人々には重い荷(規則やしきたり)を負わせ、自分では指一本さわろうとしなかったパリサイ人たちのように。私たちは人を批判しやすいが、自分はどうだろうか?まず神のメッセージを自分の生活に当てはめて、みずからを省みよ。キリストは「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」(マタイ 7:3)と警告されている。
ホセア書 8:14
イスラエルは自分の造り主を忘れて、
多くの神殿を建て、
ユダは城壁のある町々を増し加えた。
しかし、わたしはその町々に火を放ち、
その宮殿を焼き尽くす。
造り主である神を忘れ、神なしの生活をしたイスラエルは、偶像のために多くの神殿を建て、城壁のある町々を建て増やしたが、神はその町を滅ぼされる。事実、アッシリアのセナケリブはこの城壁のある町を攻め取った。
「ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。」列王記第二 18:13
イザヤの次の預言は、造り主なる唯一の神を捨て、異教の神々を慕ったイスラエルの滅び行く姿をよく映し出している。
そむく者は罪人とともに破滅し、
主を捨てる者は、うせ果てる。
まことに、彼らは、
あなたがたの慕った樫の木で恥を見、
あなたがたは、
みずから選んだ園によって
はずかしめを受けよう。
あなたがたは葉のしぼんだ樫の木のように、
水のない園のようになるからだ。
イザヤ書 1:28-30